鈴木亮平、“評価されて頼られたかった”20代 弱さを受け入れることで生まれた変化
バズは仲間思いで責任感が強い正義漢である。それは美点だが、一方で責任感が強すぎるがゆえに、全てを自分で背負い込んでしまい、仲間に頼るということがなかなかできない。鈴木自身、そんなバズに自らの若い頃の姿が重なるという。
「そこは非常に共感できました。僕も20代後半になるまで『人から評価されたい』『頼られたい』『頼れる人だと思われたい』と思っていましたし、その価値が自分にはある――『自分は一人でできる!』と思っていました。バズと同じですね。でも『自分はなんてできないんだろう…』と劣っている存在であることを認識して、『じゃあ、人に頼らなきゃ』と思えるようになりました。そうなった時から、周りの人も自分を信用してくれるようになったところがあります。『頼られたい!』とか『頼られるようにならなきゃ!』と思っているうちは、たぶん、周りから見ると頼りたくないんですよね(苦笑)。自分の弱さを受け入れられる人にこそ、周りも弱みを見せて、頼ってくれるんじゃないかと思えるようになって、カッコつけることやめた気がします」。
そこに至ったのは、これというひとつのきっかけがあったわけではなく、年齢を重ねる中で少しずつ変化をしていった部分が大きいという。
「人間、大人になっていくんですよね…。そうしたほうがうまくいくという小さな経験の積み重ねなのかもしれません。失敗したときに『失敗してないよ!』とカッコつけて取り繕うより、周りに笑われた時のほうが距離が近くなったり。もちろん、失敗を少なくする努力をする――100%以上を目指すということは、より大事になるとは思いますが、準備して、努力をした後に失敗するというのは、むしろ成功であり、失敗したからこそ学べることがあるんだなと思います」。
映画の中で、バズがハイパー航行でわずか数分のテスト飛行を行ない戻ってくると、惑星では既に数年が経過しているという描写が出てくる。バズがテスト飛行に何度もチャレンジする間に、惑星では62年もの月日が流れ、バズのかけがえのない親友のアリーシャもこの世を去ってしまう。アリーシャは最後までバズの成功を信じ、バズは彼女が亡き後も、どこかで彼女が見守ってくれていると信じながらミッションを続ける。鈴木にとっての、アリーシャのような存在を尋ねると、少し思案して、亡き“恩師”の存在を挙げた。
「最初に僕のことを見出してくれた人で『君は才能があるから大丈夫だ』と言ってくださった、僕の(演技学校における)演技の先生でもある塩屋俊さんという監督です(※鈴木主演の映画『ふたたび swing me again』などを監督)。僕が俳優として、いろいろな仕事を頂けるようになる少し前に亡くなられてしまったんですが、僕はいまでも『見てくださっている』と信じていますし、『塩屋さんにいい報告をしたい』と思いながらやっている部分はあります」。
物語に没入し楽しみながら、ふと自分の人生を顧みたり、自身の変化に思いをはせる――まさに子どもから大人まで、何かを感じ、心を動かされる作品である。インタビューを通じ、鈴木の表情と口調がそれを強く物語っていた。(取材・文:黒豆直樹 写真:小川遼)
映画『バズ・ライトイヤー』は、公開中。