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「実は東大出身の有名人」 おなじみのタレントに歌手、映画監督…意外な顔ぶれ

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山田洋次が監督になったきっかけは東大での“成績不振”? 大監督や脚本家たちのキャンパスライフとは

■倉本聰

 『前略おふくろ様』(日本テレビ系)や『北の国から』シリーズ(フジテレビ系)、近年では『帯ドラマ劇場・やすらぎの郷』(テレビ朝日系)などを手掛けている脚本家の倉本聰は、東京大学文学部出身。

 高校時代や浪人時代に演劇・映画にのめり込んでいた彼は、在学中もキャンパスにはあまり顔を出さずに劇団で台本を書く日々を送っていたとのこと。

 3年に進級する際に“何となくよさそう”と美学科を選択。そこで倉本は、のちに映画監督となり数多くの時代劇やヤクザ映画の名作を発表することになる中島貞夫や、独立系テレビ制作プロダクション「テレビマンユニオン」の設立メンバーとなる村木良彦と出会っている。偶然の選択が思わぬ出会いにつながった。

■山田洋次


 映画『男はつらいよ』シリーズをはじめ近年も『小さいおうち』、『キネマの神様』など国内外で高い評価を得る新作を撮り続ける映画監督の山田洋次は東京大学法学部出身。

 山田は、大学時代は特に映画監督志望ではなかったそう。進路を悩んでいるうちに授業に出ないこともあり落第スレスレの成績になってしまった山田。さらに日本が第2次世界大戦での敗戦から経済復興を果たしていない時代で就職が難しかったこともあり、成績を重視しないマスコミ企業を中心に就職活動をしていたところ、映画会社の松竹に入社できたという。もしも成績優秀だったなら、“監督・山田洋次”は誕生しなかったかもしれない。

■野田秀樹

 日本を代表する劇作家・演出家の野田秀樹は1年間の浪人を経て東京大学へ入学。入学後は演劇研究会に所属。在学中の1976年には演劇研究会を母体とした劇団「夢の遊眠社」を旗揚げした。

 その後1993年まで活動し、海外公演も成功させる劇団へと成長する夢の遊眠社だが、野田の大学時代は演じる場所すら自分たちで工面しなければならない状況。野田らは駒場キャンパス東部の自治寮「東京大学駒場寮」内の食堂が「フォークダンスの練習にしか使われていない」ことに目を付ける。そこで資材を持ち込んで食堂を劇場へ改装。「駒場小劇場」と呼ばれる約300人収容の演劇スペースが誕生し、夢の遊眠社以外の劇団も公演を行うようになっていったそう。1981年に東京大学を中退する野田だが、その演劇への熱は東大で確かに育っていた。

引用:「大宮エリー」ツイッター(@tsubu_ellie)

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