クランクイン!

  • クラインイン!トレンド

【第1回】山﨑果倫の“好きなもの” 映画『笑いのカイブツ』 「好き」のエネルギーは何にも勝てない

映画

有料記事

■ “好きなこと”への没頭力にとにかく圧倒

 この映画を見て強く思ったことは私はひとつ、「好き」という気持ちが生むパワーの凄まじさです。ツチヤタカユキの持つ好きなこと(お笑い)への没頭力にとにかく圧倒されました。不器用な姿さえも格好良く見えてしまう程です。

(C)2023「笑いのカイブツ」製作委員会
【あらすじ、キャストなど】映画『笑いのカイブツ』作品情報はこちら >


 私はやりたい事をここまで追及できるのか、没頭できるのか、と。ただ、彼の苦しそうな姿が長く描かれるので観終わった後は勝手に彼の幸せについてずっと考えてしまいましたがゆっくりと咀嚼して、ラストシーンの表情を思い出した時に彼の歩幅で、彼らしい歩き方で進むことが何よりも幸せじゃないか…と思いました。

 でもあれ? それって人間みんなそうなんじゃない? みんな違う生き物で、違うものが好きで、苦手で、全てが違うもの同士が一生懸命擦り減ったり思いやったりしながら寄り添い合って生きているのがこの世界だ。でも自分の歩幅で歩いて結局は「好きだ!」と思える時間を作りながら生きるのが一番素敵なんじゃない?と、ツチヤの生き方に共感どころか新しい感情まで生まれていたような気がします。

 ツチヤがお笑いをやっている時になる、水を得た魚のような表情を見ると本当に「好き」のエネルギーは何にも勝てないなと思わされます。そしてツチヤのセリフで印象的だったのが「俺は正しさの中でお笑いをやりたいだけなんだ」といったものです。ツチヤがここでいう“正しさ”って、他の誰でもどこでも見つからない、自分の中にしかない正しさなのに彼は外でもそれを必死に探してる。ツチヤの“正しさ”に共感したり理解してくれて手を差し伸べてくれる人に出会うのに、愛を沢山、貰うのにあの時のツチヤはちゃんと受け止めきれてなかったように見えました。それも、自分の“正しさ”を一人で抱えて彼の中には全く持って隙間も余裕もないからなんだろうなあ。それでも、「この愛を受け取って!ツチヤ!!泣」と何度も心の中で応援してしまいました。

 いくら好きなことでも、ツチヤのように自分の心の中に情熱の火を灯し続ける事は難しいと私は思います。それでも、自分の火の灯し方で自分の歩幅で、「好き」に向き合うのが“正しさ”なんだと思います。この映画は自分を初心に帰らせてくれる。自分が生きてきて人生で見つけた「好き」をもう一度見つめ直して大切にしたいと思える。ツチヤと比べて、自分はあれほどできない、と思うことはこの映画はきっと望んでいなくて、あなたの中にあるそれを見つけて、大事にするんだ、という事なんだと思いました。


 映画を観てきた後は小雨が降っていて、パクチー多めのバインミー(ベトナム料理のサンドイッチ)を食べました。焼きたてのバインミーはとっても美味しかったです。私はパクチーが大好きでアジア料理には外せないのですが、やはり周りにはパクチーが持つそのクセのある香りが苦手な人も多く。。なぜかパクチーを食べながら、ツチヤタカユキの存在思い出してしまいました。周りと馴染めなくても刺さる人に深く刺さって愛されるツチヤタカユキ。そんなツチヤタカユキだから、あんなミラクルが起こる。最後に皆さんに、この『笑いのカイブツ』という映画をより一層楽しめる本をご紹介します。

 オードリーの若林正恭さんのエッセイ本で、『社会人大学 人見知り学部 卒業見込』という本があります。この本の中にある【「人間関係不得意」】と、【「人間関係不得意」その後】というパートがあるんですけど、オードリーの若林さんから見た、ツチヤタカユキの存在が描かれています。映画の描写と交差する文が沢山あってすごく楽しいですし、映画のテーマをより深く受け取れるような気がしました。この映画が好きな方、是非手に取って見てください!

 最後まで読んでくださってありがとうございます。それではまた次回お会いしましょう!

2ページ(全2ページ中)
映画『笑いのカイブツ』本予告

文:山﨑果倫

山﨑果倫(@lespros_karin10)2024年2月14日

この記事の写真を見る

関連情報

関連記事

トップへ戻る