竹野内豊、独特な世界観の難役に苦心 自然の中で育った子ども時代と山深いロケ地が助けに
映画『唄う六人の女』場面写真 (C)2023「唄う六人の女」製作委員会
撮影が行われたのは京都府南丹市の芦生の森だ。京都大学が所有する原生林の研究林に特別な許可をもらい、豊かな自然が映画の中ではふんだんに収められている。竹野内が演じる萱島は、父から受け継いだ森を深く考えずに、山田孝之演じる開発業者の宇和島に売るが、その帰り道、二人は事故をきっかけに、見知らぬ六人の女たちに監禁されてしまう。演じるのは水川あさみ、アオイヤマダ、服部樹咲、萩原みのり、桃果、武田玲奈で、それぞれ“刺す女”“濡れる女”“撒き散らす女”“牙を剥く女”“見つめる女”“包み込む女”という一風変わった名前がついている。
「彼女たちをどう説明するかはとても難しいのですが、人間が勝手にこういうものだと思い込んでいる存在なのかもしれないし、目に見えるものじゃないけれど、萱島や宇和島には当たり前のように感じているものだともいえる。確かに存在するんだけど、人間にはわかってない、ただそれだけのことなのかなとも考えたりするのですが、本当の意味は石橋監督にちょっと聞いてみたいですよね。石橋監督には、彼女たちが見えているんですかって」。
石橋監督は京都市立芸術大学在学中からアートパフォーマンス集団Dumb Typeと近い場所にいて、自身でもアーティストグループ「キュピキュピ」を主宰。ロンドンのテートモダンでのパフォーマンスや、パリのパレ・ド・トーキョーでの個展、ニューヨークMoMA等、国内外の美術館での映像作品の展示、劇場でのパフォーマンス等を行い、2010年に丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で大規模な個展を開催している。
前作『ミロクローゼ』ではハイスピードによるワンシーンワンカットの技法で、山田孝之を主演に素晴らしいアクション時代劇を撮り、類まれな肉体表現を駆使した表現方法は世界的にもファンが多い。今作でも、言葉を発しない女たちは自身の独自の動きで、萱島と宇和島に彼女たちの意思を明確に伝えてくる。ファンタジックな場面が多いが、撮影は苦労の連続だったようだ。
「前作で主演を務めていた山田さんが今回はプロデューサーと宇和島役の二役を務めていて、彼から『ミロクローゼ』でのワンシーンワンカットで、殺陣のアクションを演じる凄さを聞いていたので、それに比べたら、僕の苦労なんてまだまだ、と思いますね。ただ、水中のシーンが多くて、そこはとても難しかったです。森から逃げようとして池に落ちる場面では、ただ落ちるだけではなく、沈んだまま水中で表情を求められたりして、そういう経験はこれまでなかったので、『これは、難しいな』と格闘しました。
カメラのフォーカスの問題があって、水面ギリギリのカメラ位置ではなく、水面から1.5メートルほど沈んだ深さで天井に向かっての演技が求められて、浮かんでもいけないし、沈んでもいけないし、重りで場所を固定して、息を止めて、演技するという。アオイヤマダさんは“濡れる女”だけに美しく水中を漂う姿を表現しなくちゃいけなくて、完成した映像を見て、よくやったなあとその美しさに感嘆しました。
映画『唄う六人の女』場面写真 (C)2023「唄う六人の女」製作委員会
水川さんをはじめセリフが一切ないので、みなさん、僕が演じる萱島の前では、すごく不思議な動きをしたり、 突飛な行動をしたり、それもどうしてこういう動きになるのかを、理屈でなく、直感で表現されていて、多分、撮影中はキャストもスタッフも正解がないまま演じていたという。完成した作品を見て、女性陣が『ああ、こうなるんだ』とようやく石橋監督の頭の中がわかったと話していたそうです」。