森尾由美&松本明子、お互いの頑張りを励みに40年 周囲もうらやむ不作の83年組の固い絆
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森尾由美
――1983年にレコードデビューしたお二人ですが、当時のお互いの印象はどのようなものでしたか?
松本:「世の中にこんなにかわいい子がいたのか」と驚きました。しかも由美ちゃんは自分から「やりたい!」と言ったのではなく、スカウトで芸能界入りをしていますから。テレビに出ることに憧れて田舎から出てきて、オーディションを受けてきた私にとっては、衝撃でしたよ。「こんなに都会的な子がいるんだ!」と度肝を抜かれました。
森尾:埼玉育ちですけどね!(笑) アッコはすごくおとなしくて、静かな子だったんです。デビュー当時は楽屋も一緒だったりしたけれど、「あなたたちはライバルだから」と教わっていたこともあり、実は私たち、当時はほとんどおしゃべりをしていないんですよ。
松本:私は田舎者で、右も左もわからない状態。おとなしかったと思います(笑)。
――「花の82年組」といわれる中森明菜さん、早見優さん、小泉今日子さん、堀ちえみさんといった82年デビュー組と、菊池桃子さん、荻野目洋子さんなど84年組のスーパーアイドルたちの間に挟まれているのが、「83年組」の皆さんです。「不作」と言われることもありますが、「売れていないな」と実感することはありましたか?
森尾:オリコンの順位を見れば明らかでした!(笑) 当時は3ヵ月周期でレコードを出していたんですが、1発目で売れなかったら、次に出す曲はもっと期待できないわけですから…。厳しい世界ですよね。同期のメンバーとも、最初は「ライバルだから話しちゃダメ」といった雰囲気だったものが、だんだんと「売れていない」というチームワークを感じるようになって。デビューして1年くらい活動してきた頃に、アッコが「私たちは売れなかったけれど、これからも頑張っていこうね」とみんなに声をかけてくれたんです。
松本:私は(松田)聖子さんに憧れて、夢を持って田舎から出てきました。いろいろなオーディションを受けては落ち…というのを繰り返して、ようやくスター誕生で合格したことをきっかけにデビューできたんですが、それでもなかなか売れず。さらにデビュー翌年には、(『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』で)放送禁止用語を言ってしまって、謹慎生活を送ることになってしまって…。自分で歌手活動をダメにしてしまったんですね。本当に、鳴かず飛ばずでした。
松本明子
――森尾さんのデビュー曲『お・ね・が・い』、松本さんのデビュー曲『♂×♀×Kiss(オス・メス・キス)』もとても良い曲で、売れなかったのが不思議です…。
森尾:みんな、素晴らしい先生に楽曲を書いてもらいました。アイドル研究家の中森明夫さんがおっしゃっていたんですが、80年~82年にたくさんのアイドルが誕生して、視聴者の皆さんもお腹いっぱいになっていたのが83年なんだそうです。そういう周期があるのかな、私たちのせいじゃないんだと、前向きに捉えています(笑)。
松本:アイドル水泳大会でも、私たちはメインステージでは歌えなかったですね。プールサイドの隅っこの方で歌って、放送の時はそれをワイプで流してもらう感じでした。
森尾:レコード会社対抗の運動会も居場所がなかったよね。リレーのアンカーや目玉の競技などは、やっぱり売れている方がやられるので…。明らかに私たちの方にはカメラが向いていない(笑)。転びでもしないと、カメラはこっちを向かないのよね。そこから「何かやらないと撮ってもらえないぞ」という精神が芽生えたのかもしれない。
松本:不作だったからこそ、芽生えたもの!(笑) でもそういった中でも、先輩方は本当にかわいがってくれたよね。
森尾:(松本)伊代さんも、「もうちょっとこっちにおいで」とかいつも気遣って声をかけてくれました。伊代さんは「当時は自分たちのことにいっぱいいっぱいで、83年組が売れていないとは気づいていなかった」とおっしゃっていました。
松本:いつも優しかったよね。(早見)優さんも伊代さんも、前回の“お神セブン”のイベントを観に来てくださったんです。「同期デビューで集まってイベントをやったり、仲良くしているのがうらやましい」と言ってくれることも多いよね。
森尾:そうそう! 優さんや伊代さんもそうだし、生稲(晃子)ちゃんも言っていた。「『おニャン子クラブ』でも、7人で集まって何かをやることはない」って。