『ぐるナイ』の30年をナイナイが振り返る! 「ゴチ」のガチ負けに「すごい剣幕で帰って行った方もおられます」
また、放送当時は攻めた企画を多くやっていた本番組。視聴者が安心して見られるような番組になったきっかけについて、矢部は「やっぱり『ゴチになります!』は大きいですよね。最初、若かったときは、座って、食べて、値段当てるだけなので、『これでいいのか?』って思っていましたね。お笑いが大好きな人だけが見ているんじゃないというのを、『ゴチ』を通して、僕らも知れました。『ゴチになります!』があるから、まだ続いているのは、間違いないと思います」と語る。
さらに『ゴチ』ができた時の手応えを聞かれると、「(『ゴチ』も)他の企画と一緒で、短いショートコーナーだったんですよね。最初のゲストは野口五郎さんで、お寿司屋さんでした。ショートコーナーで、初期メンバーの出川哲朗、国分太一がいて、僕が負けて、なんか悔しいなってなったらしいです、あんまり覚えてないですけど(笑)。それで、もう一回やろうみたいな感じになりました。そもそも特別感は無く、当時は体張ってばっかりの企画だったので、どっちかっていうと、『楽やなぁ』みたいな、何気ないワンコーナーでしたね」と振り返った。
岡村は「当時は、20代の若手で、笑いのセンスがあったわけじゃないので、体張らせてほしいっていうことで、体張ることに比重を置いていました。そんななか、おそらくそんなに数字も上がらない、なにしたらいいんだという時、会議で、何かやりたいことあるか聞いてもらって、たぶんみなさん全然知らないと思いますけど、『オウム対決』がやりたいって言いました」と明かす。
「2人でオウムを買って、どっちのオウムが先にしゃべるのか対決をしたいって言いました。ペットショップからオウムを自分たちで選んで、家で毎日しゃべりかけて、カメラ回して、どっちが先にしゃべるかっていう対決をしたんですけど、まあしゃべらないですよ(笑)。僕は、『タモリ』って教えてたんですけど、一切しゃべらなかったです」と当時の企画を振り返る。
そして「そういうやりたい企画とかもいろいろやらせてもらっている中、『ゴチ』がはじまって、僕も(相方と)一緒ですね。『これで本当にいいのかな、これ面白いのかな、食べ物をたべるだけでいいのかな』って思ってたんですけど、やっぱりいろんな方から声かけてもらえるようになったのは『ゴチ』でした」と続ける。
「間違いなく、『ぐるぐるナインティナイン』っていうと、最初に出てくる企画は『ゴチ』だと思います。食べる間に一つでも面白いことを言って、コメントを残してもらえるように頑張っています。今でも、体を張る系の企画をやってくださいと言われたら、やれますけどね。今はそういうことでもないのかな」と岡村は語った。
そんな岡村の言葉に矢部も共感。「たしかに。特番で、2人で抱き合ってバンジーみたいなのやったんですよ。あのOA後、誰にもなんにも言われないですからね。こっちは、『久しぶりに体張ったな』って思うんですけど、それより、『ゴチ、クビになりましたね』とかの方が、世間の声がありました」と明かした。
そんな看板企画となった「ゴチ」で、「負けた人が払う」というルールはどう決まったのか? 決めたのは、ナインティナインの2人といわれるが…。「覚えてないですね、、、」(矢部)、「違います! 違うよな?」(岡村)、「いや、わからへんねん。どんな会話がそこでなされたのかを覚えてないので」(矢部)と曖昧な様子。「ただやるんやったら、ガチでやらないと面白くないって言うたとしても、僕は返ってくるものやと思ってました(笑)」と岡村が明かした。
「ゴチ」の支払いは、「やっぱり高いんですよね」という岡村。矢部は「言わないにせよ、どっかでドンっと払った分のギャラが入ってるみたいなのは、やらしいけど、うっすら期待してました(笑)。ほんまに入ってこないので、これはもうガチなんだって、僕らも何年かして思ったかもしれないですね。『そのつもりなら、分かった』と、腹くくりました」と明かす。そして「年末の大精算の時も、ガチだからあの顔ができるのかもしれないですね。泣いちゃう人もいるし。本気やからあの表情が引き出されると、今となっては思いますけどね」と続けた。
さらに、岡村は「やっぱり負けたゲストの方でも、『こんなに高いの!?』って、すごい剣幕で帰って行った方もおられますし(笑)。それはやっぱりガチですから」と、これまでのエピソードも明かした。